院長紹介
- 略歴BIOGRAPHY
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- 1967年 佐久生まれ 佐久長聖高校へ
- 1991年 松本歯科大学 卒業
- 1991年 松本歯科大学付属病院 歯周病科勤務
- 1992年 松本市の歯科医院に勤務
- 1995年 竹内歯科医院 勤務
- 2000年 竹内歯科医院 院長就任
- 所属ASSOCIATIONS
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- 床矯正研究会
- 国際歯周内科学研究会
- 参加セミナー・修了証等CERTIFICATION
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- 2005~2006年 アストラテックインプラントセミナー(インプラント)
- 2017年 床矯正スタンダートコース(矯正歯科分野)
- 2019年 アンカースクリューベーシックセミナー(矯正歯科分野)
- 2020年 アライン社 インビザラインセミナー(矯正歯科分野)
- 2020年 松岡塾 マウスピース矯正基礎矯正学講座(矯正歯科分野)
- 2022年 藤本研修会 Limited Orthodontic Treatment(矯正歯科分野)
- 2023年 小児歯科実践塾(小児歯科分野)
院長からのメッセージ
当院のスタッフは全員、
『患者さんが喜ぶことが、自分たちの目的である』
を胸に診療にあたっております。
お口の中の状態や治療での疑問は何でも気軽にご相談して下さい。
一人ひとりの最良と思われる治療を真摯に考えさせて頂きます。
当院では患者さんごとの治療計画を立案し、丁寧に説明して納得頂いた上で
治療をお受け頂き 安心・満足を実感して頂けるよう、スタッフ全員で取り組んでおります。
「痛くない」「できるだけ抜かない」「できるだけ削らない」を基本に、
「自分自身が受けたい・自分の家族を受けさせたい」
と思うような歯科治療を心がけています。
患者さん一人一人を自分の家族のように思い、治療をさせて頂きます。
良い治療を行うには、ドクターと患者さんの間に強い信頼関係が必要です。
当院では、患者さんとのコミュニケーションを大事にし、
患者さんが納得できるまで治療方針について説明いたします。
より多くの方々が安心して治療を受けて頂けるよう、
スタッフ一同努めて参りますので、 どうぞよろしくお願いいたします。
幼少期
日本が高度成長期であった1967年、長野県佐久市に竹内家の長男として生まれました。家族は、祖父、祖母、父、母、叔父、叔母、妹、自分という8人家族でした。生家も祖父が開業した歯科医院でした。
少年時代
当時、国民的なスポーツだった野球に熱中しており、少年野球チームに入っていました。浅間中学校に入学しても小学校の延長で迷わず野球部に入部。ただ顧問の先生や先輩と打ち解けられず次第に練習に打ち込めなくなり、中途半端な野球部生活となってしまいました。
高校時代
中学在学中は、中途半端な部活動、成績もそこそこ、ということで親からも担任の先生からも「お前はもっと勉強しろ」とアドバイス?を受け、佐久高校(現在の佐久長聖高校)に入学しました。入学したクラスは部活動が禁止で否が応でも勉強せざる得ない環境になりました。
しかしながら、入学して間もなく母の死という受け入れ難い現実に直面しました。
家族全員が深い悲しみに包まれました。自分自身この現実を受け止めることができず、何も手につかない状態になりました。
また、父は悲しみから逃れようと診療が終わると歯科医師会や地域の友人たちと毎晩外に出て、家にはおらず、親子の会話もどんどんなくなっていきました。
将来のことも考えなくてはいけない時期でしたが、父のこともあり、歯科医師だけにはなりたくないと思っていました。
そんなある夜、父が自分の部屋に入ってきて、おもむろに話し始めました。普段は高圧的な感じで話すことも嫌だったのですが、何か様子が違っていました。
何を思ったのか、
「歯科医師になってくれないか。」と言い出したのです。
私は少し黙って次の言葉を待ちました。
「お前を歯科医師にするのがオレとお母さんの願いだったんだ。歯科医師になればみんなを幸せにできるから。」
と言って、しばらく2人で沈黙の時間となり、父は自分の部屋に戻っていきました。
なんとなく、家族全員が私に歯科医師となって家を継ぐことを願っていたことは分かっていました。ただ、敷かれたレールの上を走っているのも嫌で反発していた部分もありました。 しかし、この両親の想いの強さを感じ、歯科医師となり、家を継ぐことを決意しました。
大学時代
松本歯科大学に入学しました。大学時代は6年間準硬式野球部に所属し高校時代できなかった部活動を楽しむことができました。野球ではほとんどのポジションを経験しましたが主にキャッチャーとして全国歯科大学対抗戦に出場しました。さほど良い成績ではありませんでしたが…(苦笑)この部活経験を通して、先輩や後輩とのふれあいから人間関係や組織についても大いに学べました。
あとは「ながのトマト」という会社でアルバイトも経験させていただきました。ここでは、働いてお金を得るという大変さを学びました。
勿論、学業にも真剣に取り組んでいました。大学は6年生になると臨床実習になります。実習は多くの科目に分かれていて、虫歯を治したり、根の中を治療する「保存科」、歯周病を治す「歯周病科」、冠やブリッジや入れ歯を作って入れる「補綴科」、抜歯や口腔内外の病変に対応する「外科」などなどがあります。私は実習をしてみて「歯周病」について深く勉強したいと思うようになりました。
歯科大学 卒業後
卒業後は1年間大学病院の研修医として歯周病科で勉強させていただきました。
ここでは先輩の先生方から歯周病をはじめ臨床について基礎を学び、そして実際に患者様も担当させていただきました。真摯に患者様に向き合ったことで患者様から感謝や、研修期間が終わり大学病院を退職する際にも、患者様から「先生の勤務先に通うよ」という本当にうれしい言葉をいただけました。
勤務医時代
大学病院での研修医期間を終えて松本市内で歯周病治療に力を入れている歯科医院に勤務しました。 ここの院長先生は、志の高い先生方が集まる勉強会に参加されていたので、私も一緒に参加させていただきました。ここでの経験や出会いは本当に大きかったと思います。
どんなに良い被せものや部分入れ歯を入れて良い治療をしていても二次的な虫歯になりやり直しになってしまったり、歯周病でその歯を抜くことになってしまった症例をたくさん見てきました。
「最初にしっかり歯周病を治してから!」
「そもそも悪くならないよう予防する!」
これが私の中に刷り込まれました。
「歯周病をしっかり治すこと!」
「そして虫歯や歯周病を予防すること!」
これらが自分のやりたい治療だと行き着いたのです。
竹内歯科医院
約3年間の松本での勤務を経て1996年に実家の竹内歯科医院に帰ってきました。
実家の医院に帰ってからも、患者様にとってなくてはならない医院になるために毎年様々な勉強会やセミナーに妻やスタッフと多数参加し自己研鑽に努めています。
特に、「お子さんの歯並びが悪くなるのを未然に防ぐべく床矯正治療」、歯を失う最大の原因である歯周病治療に関しては、「歯周病菌をコントロールして治していく歯周内科治療」、「痛くならないための予防歯科」にこの3つに力を入れています。
私の理想は、みなさまが笑顔で来院され笑顔でお帰りになることです!
つまり、みなさまが健康を維持し続けることなのです。そして笑顔が絶えない医院にしたいと思っています。
掲げた医院の理念である「予防を通して関わる全ての人を幸せにする」を実現すべく頑張っていきますので今後ともよろしくお願いします!